何かを作り上げていく時に、様々な要素を考えていくとまとまらなくなることも^^;
そんな時振り返るのが、なぜそれを作ろうと思ったのか、根本を見直すことにしています。
何かをしたくてアイデアを出す、それがアイデアの原石。または色のない透明なクリスタルのように純粋なもの。
(写真は私が持っているクリスタルの一部です)
原石は将来どんな宝石になるか、どんな色になるのかまだ全く分からない状態。
大切なのは、その原石であるアイデアを出した人がどうしたいのか、そこが根本になります。
私が出すアイデアは、誰かのために喜んでもらえることを考えている時に浮かびます。
思いついた時のワクワク感はとても良い気分、きっと喜ぶだろうな〜と想像するだけで楽しい♪
ですから、それを作り出した後は、その誰かに喜んでもらいたい、その願いが根本にあります。
誰かのためにの「誰」は、一番近い今見えている「誰」です。
もちろん自分が将来目指すものにつなげたいですが、将来となるとまだ今は見えていない「誰」も含まれてしまいます。
見えていない「誰」かが喜ぶことなんて分からないので、今一番近くにいて見えている「誰」かが喜ぶことを考えます。
個人に向けてなら、自分一人で考える事がほとんどですが、多人数に向けての場合は、できるだけたくさんの人にアドバイスを求めます。
結論が私と同じ意見になったとしても、その結論を導き出す理由がそれぞれに違う、その視点がその人の個性を表すのでとても面白く
その理由を通してその人の喜ぶポイントも見えてくるため、私も勉強になることが多く後で役に立ちます。
アイデアを形にする時に譲れない私の一線とは、それを使う人の立場に立つ、一番近い人が喜ぶことを考えること。
自分としてはこうしたい、と自分の作った枠にはまってしまうと、それ以上のアイデアは生まれないものです。
誰かのために喜んでもらうことを考えることは、枠がない自由なアイデアとなり、いつの間にか大きく育っているはず。
自分の喜びは「誰かの喜びを見ること」、私にとってアイデアとは、誰かの喜ぶことを考えた神様からのご褒美だと思っています。
最後にこの記事を読んで、書いた人(私)を分析するなら、枠を嫌う人間だってこと(笑)
同じことをしたくないのもそこにあると、さらに自己分析^^;
【同じことをする=決まった形(枠)でする】 ことだから。
枠の存在、気配を感じるとそこから抜け出たくなる、同じ思いの人、いますよね!?